人見知りってただの言い訳なんじゃない?

そう思うきっかけを与えてくれたのは

最近読んだ 星野源さんの「働く男」。

(そして生活はつづくも読んだ)


本題に入る前に私は彼の事をここ2〜3か月前まで

名前すら聞いたことなかった。


日本に帰って来てお母さんに面白いから「逃げ恥」を見てと言われ彼の存在を知った。


この本を読んで彼が”多才な人”というよりは

身の回りのあらゆるチャンスを手にしている人という印象が残った。


需要あるかないかなんて考える前に外に出した方が良いと考える彼のスタンスがすごく好き。



そもそも人見知りとは何なのだろうと

考えさせられたのは本の中にある

星野源×又吉直樹 「働く男」同士対談がきっかけ。


人見知りって気のせいじゃないかって思うんですよね。「人見知りです」と言うのって、「コミュニケーションをとる努力をしない人間なので、気を使ってください」と言うのと一緒なんじゃないかと気づいてから恥ずかしくなって、5年くらい前から言わなくなりました。


人見知りってただの言い訳なのではないかと思うようになった。私自身、初めて会ったりした人と 話が弾まなくなったら「私、人見知りで....ごめんなさい...」という発言をよくする。


私は一人でいることが嫌いではない。

むしろ、本を読んだり、アニメ見たり、ボケーとしたりすることを楽しいと感じる。


昔から陰口文化みたいなの嫌いだったし、

人の言葉次第で嬉しくなったり簡単に相手を傷つけてしまうと考えたら人と接するのが怖いと思った。


初めての人や話し慣れていない人と話すときに

気を使って話題作りをしないとと焦る自分に耐えられなかった。


筋トレと一緒で、しんどいことをしたら新しい筋肉が刺激されて身につくじゃないですか。一人でおることは僕には何のストレスもないから、前は苦痛だった、人と会話をするようにしたんです。


人とコミュニケーションをとる一番の方法は「会話」すること。人見知りって一生付きまとう病気のようだと思っていた。


私の友人は基本的に人見知りを全くしない子たちが多い。ある時私が相談を持ちかけた際、「場所や相手の雰囲気によって人見知りするときもある」と友人が言っていたのを聞いて、炎天下の中外に出たら熱中症になる、寒い場所に行けば風邪を引くのとの同じ感覚だと思った。


ただ人見知りを言い訳に外に出るのも、人に会うのもめんどくさがっていた。


そんな私でも最近人が好きだと思うことがあって、

元々お酒飲むのは好きではないのだけど(すぐ顔が真っ赤になって恥ずかしいので)、たまたま中目黒に飲みに言った時があったの。


ふと気づいたら隣の席の人や、前を通っただけのお店の人と仲良く話してる自分がいて、「わたし…!!」とエモくなった。(最近エモいの使い方分かったから使ってみた)

その日寝る前に、今日楽しかったなぁ〜あのお店の人話面白かったしまた行きたいな〜と思ってる自分がいて。人が嫌いと言っていたわたしが、人が好きだなぁと思えた日だった。

今まで人を目の前にすると必要以上に構えていたのかもしれない。人見知りという症状は自分が生み出していたんだ。

もっと肩の力を抜いて、人との新しい出会いを大切にしようと思った。

おしまい

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