昔のわたしに励まされたっていいよね

専門に入った頃から日記を書いてたの。


でもそれは毎日コツコツ書いていたわけではなくて、その時の感情だったり、突き刺さった言葉をたくさん書き留めていた。


今のわたしは日記を書き始めようと思った理由を

覚えていなかったのだけど、

1番始めのページには「この先、この日記を見返した時、今の自分の成長を確かめることができるように」と書いてあった。


書き始めたのが2014年5月で最後に書いたのが2016年の3月。


多分わたしは、この期間に起きた出来事もその時感じてた想いも絶対に忘れることはないのだろうと思う。


もちろん留学中のことだけではなくて、周りの友達のこと将来のことがだらだらとたくさん書いてある。


元彼のこととか書いてあって恥ずかしい...


この日記を土日を使って読み返していたのだけど、わたしの考える軸というのはあの時も今も変わっていないみたい。


うん、変わっていなくてもいいと思うんだ。


それが成長していないからとかではなく

この先その想いが変わらなくてもいいと思っていて

むしろ他の方へ向いてもまた戻ってきてもいいと思う。


何に対してもだけど
今好きなモノをこの先ずっとスキでいてもいいと同じ感覚。


それだけ強い譲れない軸があるということで。


でもその中には

プラスにもマイナスにも変わった部分もあった。あたりまえだよね。


18歳のわたしは19歳になることが怖くて仕方なかったらしい。

「ずっと夢だったこと、でも憧れでしかなかったことが本物に変わったことが一番大きい」


「でも今の私は弱いでしかないからこの先自分も失わないか心配」と書いてある。


「でもまずは目標を決めようと思います。だってマイナスの先入観でくすんだ将来に合わせて今を生きるのは勿体無いと思う。」


一方、19歳のわたしは20歳ななることが楽しみでしかなかったみたいだね。


それもそのはず、やっとの思いで留学できたのだから不安よりも楽しみの方が優ってた。


日記を読み返していたら

少しだけど心が軽くなっていった気がしたんだ。


昔の自分に励まされるのも別に良いのではないかと思う。当たり前だけど、過去に戻ることはできなくて、でも過去に自分が経験した事って、全てに繋がっているのだと思った。


日記の他にも色々とメモもしてたらしく、、、

わたし、どこでこの言葉を見つけたのか覚えていないのだけど、書いた当時も今も心に突き刺さるモノがあった。


筋トレって筋肉を刺激して壊してそれを修復して強い筋肉ができているわけで、辛い経験って心の筋トレみたいな物。心を刺激して壊して強い心ができる。強い心って心を壊してできているのだよ。

自信があるわけでもないけど、自分のことを過大評価はしない。なんなら過大評価してその姿に追いつこうと思った方が自然に頑張れる気がする。

自分の事にそこまで必死になってないから簡単に人からのマイナスの言葉がグサグサ刺さる。
もっと自分の目的、やるべきことに必死になっていたら、そこまで気にならない。もちろん批判させるけど、それをプラスに捉えれる何かも自然と持てるんじゃないかな。

あの時はとにかく色々な人に話しかけたり、ブログをみて色々な人の考え方や価値観を知りたかった。


昔のわたしオモシロイなと思う反面

これからの自分にももっと期待したいと思う。


がんばれるひとになる。

物事を単純に考えられない私にとって頭の中を整理する方法は”書く”。やっぱきちんと文字にするって大切だと改めておもいました。


もっとやわらかくいきよう。


おしまい

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